ゆるさとLabo

東海大学 河井先生 特別インタビュー(前編)「関係人口の概念が、地域と地域に関わる人々の“幸福”にどう繋がるのか。今、それをロジカルに示すことが求められている」

今回は特別編として、関係人口研究に造詣の深い東海大学 河井先生をお迎えし、“関係人口の成り立ち”、“関係人口の課題”、そして“これからの関係人口のあり方”など、体系的にご研究をされている先生だからこそお聞きできる示唆深いお話をお聞きできました。

是非ご覧ください。

 

プロフィール

東海大学文化社会学部広報メディア学科 河井 孝仁(かわいたかよし)教授

専門はシティープロモーション。1958年静岡県生まれ。静岡県情報政策室、(財)静岡総合研究機構研究員、東海大学文学部広報メディア学科准教授を経て現職。地域の魅力を地域内外に訴求し、必要な資源を獲得するシティプロモーションを核とし、そのための行政広報、ソーシャルメディアの活用、地域マーケティング等を研究テーマとしている。

 

※インタビューは、2021年5月19日に感染症対策を敢行し、実施致しました。

※写真撮影時のみマスクを外しています。

 

 

「関係人口の概念が、地域と地域に関わる人々の“幸福”にどう繋がるのか。今、それをロジカルに示すことが求められている」

 

●関係人口の概念は、アカデミック、ローカルジャーナリスティックの提起から発展

 

ーゆるさとラボ 本日はありがとうございます。

        では早速、まずは関係人口の始まりに関してお教え頂けますでしょうか。

 

ー河井 今度、「関係人口の社会学」大阪大学出版会から発刊される田中輝美さん(ローカルジャーナリスト。島根県出身。主な著書に『関係人口をつくる』(木楽舎))が、この言葉の普及にとって重要な役割を果たしていると、私は認識しています。もちろん、小田切先生(明治大学農学部教授。主な著書に『農山村は消滅しない』(岩波書店)。)もそれについて語られていますし、指出一正さん(雑誌『ソトコト』編集長。主な著書に『ぼくらは地方で幸せを見つける』(ポプラ新書)。)もそれについて述べられています。

 

そうしたなかで、私としてインパクトがあったのは、やはり、田中さんの「関係人口」という考え方であり言葉です。田中さんは島根を起点とするローカルジャーナリストであり、以前は山陰合同、山陰中央新報の記者を務め、いまは大学で教鞭をとられています。島根はご存知のように隠岐の海士町などを中心に、地域づくりを非常に積極的に行っている地域です。少し前に、従来型の第一期の地方創生、まち・ひと・しごと総合戦略において定住人口というものが過剰に期待された時期がありました。しかし、日本人の人口が全体的に減っていて、東京圏の人口がそれほど急激に減らないとすると、その他地域の定住人口はそうは増えないのが当然で、逆に、どこかが増える・減らないということはどこかが減るということです。定住人口ということだけで考えるのには無理があるわけです。

 

そこに、田中さんは島根での知見も踏まえ、アンチテーゼとして関係人口という概念を考え出されたのです。私はそれより数年前に“関与人口”という言い方をしていたのですが、それは人の数というよりは、地域の中も外も含め、地域に“関わる意欲”という「地域参画総量」をどうやって増やすのかが大事という話をしていました。私の考え方からみると、「関係人口」というのはその中の一部を取り出され、非常にしっかり磨き上げられていった田中さんの概念だと思っています。

 

その周囲で、ソトコトの指出さんや小田切先生のアカデミック、ローカルジャーナリスティックからの提起もあり、総務省が関係人口という考え方を提起し始めたのが定着・普及の始まりだと思っています。さらに、内閣官房のまち・ひと・しごと創生本部でも関係人口という言葉を積極的に用いるようになりました。総務省でも関係人口ポータルサイトで多様な取り組みを紹介するようになってきました。それによって、現在では少なくとも地方自治体レベルでは、関係人口という言葉についてはある程度認知され、まち・ひと・しごと総合戦略においてめざす方向性であり、定住人口一本やりではないということが見えてきています。

 

 

●関係人口の概念は、“積極的な定義”が出来ず曖昧な状態。それが大きな課題。

 

ーゆるさとラボ ある程度、地方自治体には言葉として浸透してきているというお話ですが、それなりに上手く進んでいるということでしょうか。

 

ー河井 その点に関して言うと、ある程度地方自治体には浸透してきている現状ですが、地域住民にとっては関係人口という言葉はあまり馴染みがなく、総務省の調査でも認知は高くないという結果が出ています。

 

そもそも関係人口という概念は、まだまだきわめて曖昧な状態であり、それが地域住民に浸透していない原因だと考えています。

積極的な定義ができず消極的な定義のままで、アルコールでもないコーラでもない液体、と言われてもよくわからない。定住人口でもない、一時的な観光における交流人口でもない、地域に関係する人口って…なに?という曖昧な状態で、さらに、関係人口が増えるとどんないいことがあるのかも、必ずしも明確ではないのです。

 

そのような状態の中、総務省が関係人口を創出することを目的とした交付金を設定してしまったため、曖昧な定義をさらに曖昧にすることに拍車をかけてしまいました。例えば、ある地域が関係人口を作りましたという申請や実績布告をしていたのですが、中身をみてみると、修学旅行生が増えるという内容でした。それは、将来の観光需要ですよね。一方で、ある地域では、非常にレベルの高い地域を変える人を関係人口として位置付けてしまう。そうすると、名前のあるだれだれさんがここに来ました、という内容に終始してしまう。やはり関係人口が消極的定義に終わっていることで、目指すべき方向性は地方自治体にとって必ずしも明確にならない状態が続いているということです。

 

そのため、交付金によって行われた事業においても、結果、納税者に十分説明できるまでの内容に至らず、2021年度において財務省では、総務省が提起をした関係人口の創出の交付金について、予算を出さないという形になっています。関係人口創出という大きな御旗はあるけれど、どうしたらいいのかが見えなくなっている、そのような状況が2021年という印象は持っています。

 

ーゆるさとラボ 行政や政策では仕組みが出来つつある中で、ちゃんと定義がされていないから、地方自治体や地域の方々にしっかりと根付いていかないという課題感でしょうか。

 

ー河井 定義も曖昧なのでそうですし、定義された関係人口というものの存在が、最終的に地域と地域に関わる人々の幸福にどうつながるのかがロジカルに示せていないことも大きな課題です。定義が無いゆえに、データがとれない。データがとれないゆえに、ロジックがつくれない。きわめて多様な関係人口というものを、地域が作りましたというだけで終わってしまい、「地域が元気になっていくためになぜそれが必要なのか」という部分がとても見えにくい状態です。関係人口というものを私たちはこう考えました、それをつくるためにこうします、そうすることで定住人口ではなく、人々が関与することによって幸せになるはずです。

では、その関与ってなに?というところが明確では無い訳です。

 

 

ーゆるさとラボ 私たち民間企業も、関わり方や利益を考えるうえで、民間の動きをみていると、率先して動いている方々は、実は、意識がものすごく高くて、早い一部の方々が動いているイメージを持っています。

現状はそういった状況でしょうか。

 

ー河井 そうですね。総務省が考えている「地域づくり人」というのがあるのですが、それが十分に整理されないまま、「関係人口」というさらに新しい言葉が増えた状態と考えています。そして、その2つの言葉はどういう関係なのかが曖昧な状態です。「地域づくり人」と近いのであれば、「意欲意識が高いだけでなく実際に行動する人」となり、例えば地域おこし協力隊のような方々になるのかもしれないですが、明らかに関係人口の最初の定義からは、そこまで高い意識や行動レベルの人を求めているわけでは無いです。

 

そうなると、定住でもない、観光でもない、ゆるやかに関与する人って、誰なのかとなってしまう訳です。つまり、意識高く動いている方も関係人口の枠の中に入るかもしれないし、一方で、ゆるやかに関与するということからすると意識高く動いている人は関係人口には入らないかもしれない。幅が極端に広い状態且つ曖昧になってしまっているのが現状です。

 

私は今、海老名にも拠点があるのですけれども、浜松の出身で、ときどき浜松に帰ります。では私は浜松の関係人口なのでしょうか?でも浜松に高い関与をする気は、現状ありません。その人は関係人口なのかどうなのかという事ですね。要するに、各省庁によってそれぞれが独自に定義している状態で、地域の自治体からすると訳が分からない状態なのです。

 

ーゆるさとラボ 関係人口の定義も曖昧であるというお話ですが、居住実態の有無はどれくらい関係があるものでしょうか。

 

河井 自治体議員の選挙において、候補者が居住実態がないにもかかわらず、当選して云々という話が最近ありましたね。関係人口の視点から考えると、居住実体は本当に必要なのでしょうか。時々しか来ないけど、その街のことがとても大事で、より良い街にしたい人は議員になれない。一方で、居住はしているけど、本人はそこまで強い気持ちで街を良くしたいという思いを持っていない、しかし例えば二世議員で、地盤・看板・鞄が揃っていたので、議員になれたとする。

 

そうなると、関係人口を視野においた地方創生の文脈とは、相容れなくなるわけです。一方で、関係人口という概念はけっこう怖い概念で、関係人口の文脈からすると、では地域って何でしょうか?といった部分まで遡れてしまいます。そこまでしっかりと明確に定義していかないと、関係人口だけではなく、定住人口も含めて空中分解をすると考えています。

 

ーゆるさとラボ 行政単位の地域という括りが必要なのか、必要では無いのか、そういった議論になってくるということでしょうか。

 

河井 そう。その議論になってきますね。関東地域の人にとっては、自分がどの自治体に住んでいるかよりも、どの沿線に住んでいるかが圧倒的に重要な状況です。地域というのが、自治体の境界ごとに切れるなんて、ほとんどの住民は思っていないかもしれないですね。そうした中で、自治体主導の関係人口の議論は、実際の生活者にとって果たしてどのくらい意味がある話なのでしょうか。

 

例えば、小田急沿線ですと、川崎という自治体が無くなっても、新百合ヶ丘があれば構わないと思う人がいらっしゃる可能性があるとしたら、新百合ヶ丘が東京に編入されました、あ、それはそれで構わないですね?というだけかもしれないですね。そのような時に、川崎が関係人口を増やして川崎をなんとか持続させようという活動は、住んでいる人にとって本当に意味のある議論なのでしょうか。

 

地域に、関係人口の議論が入ってきたことで、自治体の境界が地域なのかという「地域」そのものを改めて定義する必要性が出てきていると感じています。それは、ある意味おもしろい状況だとも感じています。

 

 

●関係人口において、地域行政は地域に関わる人々の「全体的な幸せの“実感”」を作り出していくデザイン思考が求められる

 

ーゆるさとラボ 先生の著書で、地域経営の主権は住民で、代理人として自治体や一般企業という定義をされていらっしゃいます。そう考えると、小田急沿線で考えると、小田急が駅周辺を経営していて、それによって地域が成り立っているという認知をされるのかなと考えました。その考え方において、関係人口がもたらすメリットが、どの地域、ひとつのお店、ひとつのコミュニティ、現場レベルでなにかをもたらしそう。現在、関係人口をテーマに交付金等で施策をされている地域は、どういうレベル感のものが多いですか。

 

ー河井 それはとても違いがあります。どうやって修学旅行生を増やすかという内容で交付した事例もあれば、スーパー人財をどう獲得するのかという内容で交付した事例もあります。それはあまりにも幅が広く、そうしたこともあって、関係人口の交付金がいったんなくなるという状況にまでなりました。

 

総務省は、それなりに一生懸命考えて、関係人口に係る成果指標を明確にするための研究会も出来たのですが、今のところは、予算化にはつながっていないという状況です。私も議論に参加していたのですが、共通の成果指標を作ることには困難があった、各自治体ごとのKPIが十分に説明可能になっていないという課題はあったと考えています。

 

例えば、修学旅行生事例でいくと、1万人が2万人になるならともかく、具体的な数字ではありませんが、35人が70人になるというようなものもありました。その数字は、地域にとってどうプラスになるのか、なかなか説明にしにくい。なぜなら、それは地域の経済にとっては影響力のある数字では無いですし、一方で将来的に地域を応援してくれる存在を作れたかというと、そのことは十分には説明されていない。その結果、何が起きるのかというロジックが明確ではなかったということになります。国からの交付金を継続させるには、やはり課題が残ったということかもしれません。

 

 

ゆるさとラボ そのような状況になった理由はあるのでしょうか。

 

河井 概念が先に走ってしまったのだと思います。それがどういう意味をもつのかというロジックはこれからだったのですが、早めに政策化されてしまった結果、関係人口という概念が無駄遣いされているとすら感じています。1年で成果が求められてしまうのであれば、定住人口のときと同様に、頭数を増やすことが重視されてしまうことになる。本当は、5年後にどういうことを目指していて、5年後の状態を地域側で定常的に評価し、意味深いものにしていかないといけないのです。

 

先ほどの例でお話すると、修学旅行生が、その街が大事になって、10年後にスーパー人財になってやってきたということだと美しいですが、それは10年後にならないとわからないです。そうなると評価するポイントは、35人が、地域に対してどう思ってどう感銘を受けて帰ったかが大事になります。35人のうち何人が訪れた地域をかけがえのないものとして帰ったのか?まさにこの部分で、先ほど申し上げたKGIの議論が無いまま、概念が独り歩きし、政策につながった。1年で成果としやすい、数えやすい、KGIに繋がらない孤立したKPIに終始してしまったとも考えられます。KGIの議論の無いまま、つまみぐい的な数字を実現したかしないか、になってしまっているという大きな課題があります。

 

ーゆるさとラボ コロナ禍となり、GoTo商店街という交付金が話題となりましたが、商店街の方の話を聞いていると、一時的なやりたいことの話が出てきます。お聞きしていて、その内容と少し似ているのかなと思いました。

 

ー河井 私は、商店街の人たちがそう思うのはすごくいいことだと思っています。まずは自分の会社、自分の店が大事なのが当たり前ですよね。自分の店を持続させ、儲かり、自分の懐が潤って、自分の子供たちをちゃんと教育できるようにしたい。それを犠牲にして地域のために、というのは嘘なので、気持ちが悪いですよ。少なくとも日本が資本主義で自由主義だとすればありえないことですね。

 

それを前提とした上で、行政はそれをただ後押ししているだけでは駄目だとも言えますね。行政は、個人が個人の最大幸福を目指そうとすることを束ねて、地域に関わる人々の最大幸福とする、それをどう実現するのかをデザインする責任があると思います。

 

地域に関わる人々の全体的な幸せの“実感”を作り出していく必要があります。実際に、個別の欲望実現だけを中心としてしまって右往左往する商店があったり、一方SDGsで誰ひとり取りこぼさないとただ言っているだけの人もいたりする。そこをつなぐデザインが本来は必要なのですが、そのデザインを明確に示すことが出来ている自治体がどれだけあるかというと、いささか心もとないのが現実ですね。

 

前編は以上になります。

次回は、「関係人口の実態・関係の形成過程」に関してコロナ禍やソサエティー5.0などの社会環境の影響も含め詳しくお聞きします。是非ご期待ください。