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東海大学 河井先生 特別インタビュー(中編)「関係人口とは、“参加” “感謝” “推奨”意欲の高まりを捉え、自分を意味ある存在だと思う人が、活躍し続けられる社会の編集である」

今回は特別編として、関係人口研究に造詣の深い東海大学 河井先生をお迎えし、“関係人口の成り立ち”、“関係人口の課題”、そして“これからの関係人口のあり方”など、体系的にご研究をされている先生だからこそお聞きできる示唆深いお話をお聞きできました。
是非ご覧ください。

 

プロフィール

東海大学文化社会学部広報メディア学科 河井 孝仁(かわいたかよし)教授

専門はシティープロモーション。1958年静岡県生まれ。静岡県情報政策室、(財)静岡総合研究機構研究員、東海大学文学部広報メディア学科准教授を経て現職。地域の魅力を地域内外に訴求し、必要な資源を獲得するシティプロモーションを核とし、そのための行政広報、ソーシャルメディアの活用、地域マーケティング等を研究テーマとしている。

 

※インタビューは、2021年5月19日に感染症対策を敢行し、実施致しました。

※写真撮影時のみマスクを外しています。

 

前編「関係人口の概念が、地域と地域に関わる人々の“幸福”にどう繋がるのか。今、それをロジカルに示すことが求められている」もご覧ください。

 

 

「関係人口とは、“参加” “感謝” “推奨”意欲の高まりを捉え、自分を意味ある存在だと思う人が、活躍し続けられる社会の編集である」

 

●その地域にとって「自分が意味ある存在」だと思え、「それが幸せだと感じる人」を増やしていくこと、それが関係人口の最初の基盤

 

ーゆるさとラボ 新型コロナウィルスという社会を大きく変える事象が発生していますが、地域に対して、関係人口に対して、どのような影響があるとお考えですか。

 

ー河井 コロナによるニューノーマルの話は、5年後にどれだけ生き残った議論になるのかは正直分からないですね。それはしっかり見極める必要があると思います。なんとかワクチンがいきわたり毎年打てる状況になり治療薬ができる、3年後には日本でもさすがにできているのではないかと考えてはいます。

 

それを前提とすると、その時の世界は、withコロナとぐちゃぐちゃにならないようにしないといけないと思っています。例えば、授業がオンラインになり、結構多くの先生は、新しい可能性を見つけ出してきています。むしろそう考えると、コロナということを契機に、ソサエティー5.0、そうした可能性が今後生まれてくるのだろうと思っています。要するに、今後促進されるであろうソサエティー5.0思考のなかで、地域、関係人口がどういう可能性をもつのか、その考え方で話をした方が生産的であると感じています。コロナがゼロコロナなのかwithコロナなのかなどのコロナ論に終始しない方が良いと考えています。

 

ーゆるさとラボ 経済的指標で今までは豊かさを測ってきた中で、幸福とか、お互いの助け合いのような価値観が新たに注目される可能性があると考えているのですが、そういった意識は関係人口には影響があると思われますか。

 

ー河井 もちろん幸福度という視点が関係人口にとって一定の意味をもつことは確かです。けれども、内情は質問の内容ほど美しくは無く、これからの時代はさらに人と人が大事と言いながら、ソーシャルメディアでけなしあうという状況は今まで以上に増えていくでしょう。最近の話で言えば、あいつはマスクしていない、ウレタンだ、という具合ですね。基本的に人は、自分が生きていくためにはある程度のお金が必要で、お金が大事で、ある程度のお金があるともっと欲しくなるのは当たり前にある欲望です。

 

現状は、コロナをきっかけに、お金だけではない価値観の人が見える化されてきたのだと思います。ある意味、コロナで厳しいなかで、そういう可能性を見たいという思いもあるし、ソーシャルメディアによって情報発信力が高まることによって、マスメディア以外の情報ソースがどんどん増え、結果的にそういう人たちが見え易くなっているということでもあると思います。

 

ーゆるさとラボ そうすると、見え易くなったということで、そこまでは考え方や価値観に変化は無いということでしょうか。

 

ー河井 幸福度の話を改めてすると、なぜかいまでも外形的に評価しようとして四苦八苦していますね。車が2台あると、家が一人当たり広いと、幸福なのか。それだと新宿よりあきらかに福井のほうが幸福になります。でも、そうなのか。

物質的に考えようとするとどんどん論理的な評価が苦しくなりますよね。

 

そういうことよりは、コロナをきっかけとして、自分が幸せであると思えるかどうかという、主観的なところに戻してもよいのではないかと、そういうことではないかと思っています。その時に気を付けないといけないのが主観的満足だと、自分のなかに自閉して終わってしまいます。主観的満足ではなくて、自分が意味のある存在だと思えるのか、というところが圧倒的に重要なのだろうと考えています。自分を意味づけられるということが、生きていく糧になる可能性は高い。いくらお金があっても、自分は誰にとっても意味のない存在だと思って生きていくよりも、ぎりぎりの生活だけど俺のおかげでこの子供は生きていられると思えると、それなりに毎日が充実しているという状況はつくれると思います。

 

そのように考えた時に、ある一定の地理的範囲の中で、そういった人を増やすことができれば、行政においても民間においても地域づくり、関係づくりは成功したといえるのではないかと思っています。商店街においてうちの方が、隣町よりも一軒あたりのお金は少ないけれど、でも、子どものにこやかな笑顔が商店で見られて、私のつくったパンをおいしそうに食べてくれて、その姿をみると、生きていてよかったと思います。そういった方が、誰が買っているかわからないけどとにかく売れていますよというよりも恐らく幸せだろうと思います。

 

要するに、幸福度の測定の仕方は難しいのですが、客観的な測り方にも限界があり、ある程度主観的に見ながらも、それぞれの人がどれだけ自分は生きている意味があると思うのか、という実感を作り出していくのかが、大事なのだろうと考えています。そしてその変化に今いる、そう思っています。

 

 

ーゆるさとラボ 今のお話の中の自分を意味づけられるというのは大きなご示唆かと思います。関係人口においてもやはり重要になってくるということでしょうか。

 

ー河井 そうですね。関係人口において考えても、その地域にとって自分が意味ある存在だと思えるかどうかが、最初に重要となります。

 

例えば、過去に住んだことがある場所に年に1回行って、知り合いのおばあちゃんと話をして、よく来てくれたねと答えてくれる、行ってよかった、私は意味のある存在だと思える。そうすると、その街にとっての関係人口だといえるのではないか。お互いに価値ある存在になる訳です。

 

そう考えると、関係人口は単なる資源としてとらえるのではなく、関係人口と言われる人が、幸せである必要があります。そして、幸せというものが、自分が意味のある、意義のある存在だという自己認識にもとづくものだとすると、地域側や行政側は、関係人口と言われる人たちに、あなたは意味のある存在ですという返し方をどのようにできているのかが重要になります。関係人口の概念は、住んでいる人は除くとしても、これは違う、あれも違うという消極的な定義ではなく、ある地域において自分は意味のある存在だと思う人こそが定義になると考えています。

 

そうなると、地域側は、居住はしていないが、その地域で自分は意味のある存在だと思ってくれる人を増やしていく、それが第一歩であり、施策としてもわかりやすくなります。そのように定義し活動内容を明確にすれば、関係人口の構築自体が一定の地域にとってプラスになっていくということも説明しやすいと思います。

 

ーゆるさとラボ 感謝のやり取りということですよね。

 

ー河井 参加、感謝、推奨で考えると、ある地域に参加をして、その地域をより良くしたいと思うこと。あるいは、ある街は素敵な街だと他の人に推奨しようと思うこと。また、ある地域で頑張っている人たちに強い感謝を持ちたいと思うこと。地域側も含めて、そのように考える人たちを、関係人口の最初の基盤と考えることは有効だと思います。

 

ーゆるさとラボ 関係人口の見える化についてご質問です。ソサエティー5.0やサイバー空間が、いろいろな働き方、暮らし方を見えるようにし、どんどん評価をしやすくしていると感じています。そういった環境の変化が、地域で活動をしている人が意味を感じられるという気はすごくしました。そのような変化は起きていますか。

 

ー河井 おっしゃる通りだと思います。自分がどんな存在なのか、というのが見えやすくなっている部分があると思います。年に一度行くおばあちゃんへの訪問が、どんな意味があるのかということが、ソーシャルメディアの一般化やUGCみたいに、小さな「生」を拾う、発信する、発信されるようになる。大きなことしか扱わないマスメディア以外の、そうした情報発信が当たり前となり、見えるようになったことによって、自分の実感として、自分は意味のある存在だと思えるような可能性をつくりだしていると思います。という意味では、今までに比べて関係人口というものを積極的に拡大させていく可能性は十分生まれていると思います。

 

 

●「私は意味のある存在だ」という意味付けだけでは地域は変わらない。その意欲を“状況化”させる「関与の窓」をどのように開くのかが非常に重要

 

ーゆるさとラボ 関係人口の関係先は、地域が今は大きいと思います。その地域にたどり着くまでにステップがあるのかなと思っています。意味を感じさせてもらえる対象は、最初は人、個人。それがグループ、団体、場所になり、最終的に地域になるのかなと思っています。

 

ー河井 地域が何かということを、私なりに改めて定義してみると、「構造としての地域」という考え方をしています。構造としての地域とは、一定の地理的範囲における、多様なコミュニティの連鎖によって地域がつくられるということです。このことは、地域が平板に一体化されたものではないとも言えるでしょう。単に「地域のことに関わる」ということでは手がかりが十分になく、難しいと思います。一方で、一定の地理的範囲のなかで子供を大事にしたいコミュニティがあり、そこで頑張っているお父さんということであれば「手がかり」が生まれ、意味ある存在としての自覚につながる訳です。そのうえで、個々のコミュニティにとどまらない、多様なコミュニティの連鎖である地域というものへの想像力をつくりだす“変換作用”を行って初めて「地域に意味がある」と言えるようになると思います。

 

そのような変換作用を行わないで、漠然と「地域で意味がある人になりたい」と思うのは、きわめて苦しいと思います。先ほど申し上げたお父さんのような人に「感謝」と「あなたは地域にとって意味のある関係人口です」と伝えてあげればいいわけです。

 

ーゆるさとラボ 地域に参加するということではなく、本質的には街のコミュニティの中に対する参加という意味合いになりますか。

 

ー河井 先ほど、関係人口のファーストステップという言い方をしましたけれど、そうした意欲をもっているとか、私は意味のある存在だ、という想いだけでは、地域は変わらないわけですよ。意欲をもっている人がたくさんいたところで、何も行動しなければ変わらないのです。なので、意欲をもっているということはファーストステップなわけですけれど、その意欲を個別にあるいは連携させて状況化させることが必要になってきます。

 

そのためには、「関与の窓」というものが必要で、それをどうつくるのかが、行政や地域づくりの主体側のデザインだと思います。意欲をどう作っていくのかというファーストステップがあり、その意欲を状況化させるための関与の窓をどのように開くのかがその次に来ますね。この両方が無ければ、意欲のある人はいるけれど、実際に地域は変わらないという状況は変わりません。そういう考え方を、行政なり地域のなかの多様な代理人がもつ必要があると思っています。

 

 

ーゆるさとラボ 意欲の形成に私たちは興味があります。なぜ関係人口にするのかが研究テーマですが、それがわかったとして、一民間企業が地域に何をできるかが課題でした。それは結局、関与の窓であるという理解に至っています。

 

ー河井 そうですね。マグマは高める必要があるが、マグマをどこから噴出させるのか考えないと上手くいかないわけです。そのまま出口がなく冷えてしまう場合もあれば、思ってもいないところに爆ぜていく場合もあり得ますね。やはり、適切なところからマグマをあふれださせていく仕掛けを作れるのは、個人ではなく「一定の編集能力をもった組織」だと思っています。

 

本来は行政がそうした編集能力をもってほしいけれども、そこに必ずしも期待できないとするならば、別の代理人である企業やNPOがデザインすることによって、高まった意欲を的確に導くことによって、自分を意味のある存在だと思える人をつくる、そういう人たちが生き続けられる社会をつくる。みなさんのような企業は、そういう意味で大きな力を持っているのだと思います。

 

中編は以上になります。

次回は、「関係人口に関する取組事例・本研究および小田急グループができること」に関して詳しくお聞きします。是非ご期待ください。